メカ屋は何でも分解したくなる人種で、身の回りの物が壊れたらとりあえず、ドライバーを持ってきてネジを外し始めてしまったりする。
外付けのハードディスクが壊れたので、早速分解してみた。外側を包むようにアルミの板金が一枚、中にフレームの鉄の板金が一枚、全面と背面にモールドのパネルがあり、それでメカ部品は全てである。Buffalo製の製品を分解すると、いつもその設計のすばらしさに感心する。出っ張った板金の角は必ず丸くされ、作業者がケガをしないように配慮されている。また、フレームは複雑な形をしているが、一枚の板金部品でできている。制御部の基盤は、ネジを使わずに固定されている。これらは基本的にコストダウンのために、行われていることだが、ここまで考えて設計している会社は多くない。期限が決まっていたり、技術の未熟な人が設計したりすると、設計は簡単に済むが、組み立てで苦労させてしまうような設計をしてしまう。それは組立工数の増加や、組み立て不良の発生につながってしまう。だから、設計者は一つ一つの部品について考え抜かなければならない、どうすればもっと安く作れるようになるのか。
設計においてコストダウンとは、手を抜くことではなく、設計者が他の部署の苦労まで背負い、考え抜いて最適の妥協点を見いだすことにある。考え抜かれた設計とは、安く部品を調達でき、簡単に組み立てられ、丈夫でその製品の仕様を満たしていること、その製品の生涯がなるべく安くつくようにすることだと思う。コストダウンは環境配慮にも有効で、安くるためには、余計なエネルギーを使わずに作る必要がある。
最近ではCADが使えれば、設計が出来ると思われているのか、分解してガッカリな物もありますが、Buffalo製の製品は自分の仕事を反省させられるくらい、背筋の伸びる思いがします。
2011年2月10日木曜日
2011年2月1日火曜日
いまさらDSについて
もうすぐ3DSが発売になりますね。そんな時なのに、DSの話をしたいと思います。
DSが初めて発表された時、2画面という話を読みました。ん?。とちょっと考えて、タッチパネルを片方に搭載するなら、そんな事もあるかな?、なんて思ったもんです。しばらくして、続報が入りタッチパネルを乗せていることが判明しました。しかし、メカ屋はしょっちゅうコストのことを考えているので、タッチパネルを載せるためだったら、別に1画面でもいいじゃん、なんでわざわざケースもヒンジも必要になる2画面にする必要があるの、理解に苦しみます。今のiPod touchみたいな物で十分じゃないかと思うわけです。仮に、2画面分の広さの表示面積が欲しいんだとしても、大きな1画面の液晶の方が、2画面の小さな液晶を用意するより、安くなります。大きさは一回り大きくなってしまうでしょうが、コストから考えてそのほうが有利です。ケースの強度的なことからいっても、2画面にすると、落下テストによりヒンジ部が壊れてしまうことが予想されます。設計的に、困難が予想されるため、こんな商品提案はメカ屋なら却下です。唯でさえ、1円でも安く作れるように考えているのに、それを根本から否定されています。どう見ても安く作れるはずがない。任天堂なのに、子供向けのおもちゃのはずなのに。
しかし、ワクワクすることは認めなくてはならないでしょう。なんだか良く分からないが、触ってみたいと思わせられます。全く予想外の商品なので、いったいこれでどんなゲームが遊べるのか、想像できません。これは、商品としてはとても大事なことだと思います。DSはおもちゃなのだから、そういう無駄な部分で、遊びを膨らませることが出来るなら、この2画面とういう提案はありだと思うのです。
DSは間違いなく2画面というコンセプトが先にあり、後からそれを正当化するため、タッチパネルが載せられたのです。メカ屋は間違ってもそんな提案はしません。自分の首を絞めるだけですから。しかし、その提案を聴いたメカ屋の人も、なんだか分からないが面白そうだと、きっとワクワクしたはずです。メカ屋が考えても出てくるのは、せいぜいiPod touchにいくつかボタンを足したようなカッコウのゲーム機だったでしょう。しかしDSは二画面でした、しっかりした企画屋さんがいたんでしょうか?。よく知りませんが、こんな企画をよく商品化まで持って行ったもんです。
メカ屋の私としては、メカ屋の限界を見た気がします。こんな企画は絶対にメカ屋からは出てこない、しかし、メカ屋は企画をつぶしてしまう事が可能です、コストという言葉で。そして多くの企業ではこの言葉に逆らうことはできないでしょう。2画面なんて技術的には何の意味もありません。表示範囲を広くしたいなら、1画面でもできるし、コストはその方が安上がりです。しかし、あえて2画面にして見せた任天堂は、自分たちの提供している商品について良く分かっている、おもちゃにとって何が大事なのか非常に考えていると、思いました。おもちゃとしてそれが、楽しさを提供するものなら、技術的には無意味でもそれを実現する。メカ屋もうんざりしながら、落下テストを繰り返したことでしょう。コストのことや設計の難易度を盾に企画をつぶすことも出来ただろうに。同じコストならこっちのほうがこれだけ安く高性能な物が作れますよと、囁くことも出来でしょうに。コストのことばっかり考えていると、こういう面白いものは作れないのかもしれないと、考えさせられました。
設計者は自分が設計した商品について、物すごくよく知っています。けして表に出ない失敗作の数々も、一つ一つの部品の値段も、貼り難いスポンジの貼り方もわかっています。しかし、メカ屋がいくら頑張っても、技術者がいくらいいものを作っても、それが売れるものなる訳ではありません。企画がよくなければ売れる商品にはならないでしょう。そう、メカ屋の限界とは、いいものを作っても、企画が悪ければ売れないし、いい企画でもメカ屋の都合でその魅力を削いでしまうかもしれない、メカ屋がいくら頑張っても売り上げには貢献できないということです。メカ屋はその企画の魅力を損なわないように、商品を設計する必要があり、それは時としてコストを掛けたり、設計の難易度を上げることになるが、甘受し受け入れ人知れず苦労しろ。それがDSが私に教えてくれた事です。
メカ屋は売り上げには貢献しませんが、利益には貢献します。一つの商品からどれだけ儲けられるかは、メカ屋など技術陣がカギを握っています。一応フォローしておきます。
DSが初めて発表された時、2画面という話を読みました。ん?。とちょっと考えて、タッチパネルを片方に搭載するなら、そんな事もあるかな?、なんて思ったもんです。しばらくして、続報が入りタッチパネルを乗せていることが判明しました。しかし、メカ屋はしょっちゅうコストのことを考えているので、タッチパネルを載せるためだったら、別に1画面でもいいじゃん、なんでわざわざケースもヒンジも必要になる2画面にする必要があるの、理解に苦しみます。今のiPod touchみたいな物で十分じゃないかと思うわけです。仮に、2画面分の広さの表示面積が欲しいんだとしても、大きな1画面の液晶の方が、2画面の小さな液晶を用意するより、安くなります。大きさは一回り大きくなってしまうでしょうが、コストから考えてそのほうが有利です。ケースの強度的なことからいっても、2画面にすると、落下テストによりヒンジ部が壊れてしまうことが予想されます。設計的に、困難が予想されるため、こんな商品提案はメカ屋なら却下です。唯でさえ、1円でも安く作れるように考えているのに、それを根本から否定されています。どう見ても安く作れるはずがない。任天堂なのに、子供向けのおもちゃのはずなのに。
しかし、ワクワクすることは認めなくてはならないでしょう。なんだか良く分からないが、触ってみたいと思わせられます。全く予想外の商品なので、いったいこれでどんなゲームが遊べるのか、想像できません。これは、商品としてはとても大事なことだと思います。DSはおもちゃなのだから、そういう無駄な部分で、遊びを膨らませることが出来るなら、この2画面とういう提案はありだと思うのです。
DSは間違いなく2画面というコンセプトが先にあり、後からそれを正当化するため、タッチパネルが載せられたのです。メカ屋は間違ってもそんな提案はしません。自分の首を絞めるだけですから。しかし、その提案を聴いたメカ屋の人も、なんだか分からないが面白そうだと、きっとワクワクしたはずです。メカ屋が考えても出てくるのは、せいぜいiPod touchにいくつかボタンを足したようなカッコウのゲーム機だったでしょう。しかしDSは二画面でした、しっかりした企画屋さんがいたんでしょうか?。よく知りませんが、こんな企画をよく商品化まで持って行ったもんです。
メカ屋の私としては、メカ屋の限界を見た気がします。こんな企画は絶対にメカ屋からは出てこない、しかし、メカ屋は企画をつぶしてしまう事が可能です、コストという言葉で。そして多くの企業ではこの言葉に逆らうことはできないでしょう。2画面なんて技術的には何の意味もありません。表示範囲を広くしたいなら、1画面でもできるし、コストはその方が安上がりです。しかし、あえて2画面にして見せた任天堂は、自分たちの提供している商品について良く分かっている、おもちゃにとって何が大事なのか非常に考えていると、思いました。おもちゃとしてそれが、楽しさを提供するものなら、技術的には無意味でもそれを実現する。メカ屋もうんざりしながら、落下テストを繰り返したことでしょう。コストのことや設計の難易度を盾に企画をつぶすことも出来ただろうに。同じコストならこっちのほうがこれだけ安く高性能な物が作れますよと、囁くことも出来でしょうに。コストのことばっかり考えていると、こういう面白いものは作れないのかもしれないと、考えさせられました。
設計者は自分が設計した商品について、物すごくよく知っています。けして表に出ない失敗作の数々も、一つ一つの部品の値段も、貼り難いスポンジの貼り方もわかっています。しかし、メカ屋がいくら頑張っても、技術者がいくらいいものを作っても、それが売れるものなる訳ではありません。企画がよくなければ売れる商品にはならないでしょう。そう、メカ屋の限界とは、いいものを作っても、企画が悪ければ売れないし、いい企画でもメカ屋の都合でその魅力を削いでしまうかもしれない、メカ屋がいくら頑張っても売り上げには貢献できないということです。メカ屋はその企画の魅力を損なわないように、商品を設計する必要があり、それは時としてコストを掛けたり、設計の難易度を上げることになるが、甘受し受け入れ人知れず苦労しろ。それがDSが私に教えてくれた事です。
メカ屋は売り上げには貢献しませんが、利益には貢献します。一つの商品からどれだけ儲けられるかは、メカ屋など技術陣がカギを握っています。一応フォローしておきます。
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